ケアンズ連載、小休憩。いいんだよ。
好きに書いてるブログなんだから。
経線すら無いとりとめのなさがえりーさんの頭の中。
なんでもつっこむ形の無い箱。
さておき。
こないだ、帰省のついでに祖母のおみまいにいったのです。
もうお年ですから、老人性の痴ほうで介護施設にはいってます。
何ヶ月前か怪我でちょっと危なかったらしいのですが
意識もしっかりしているし、言葉もしっかりしています。
お風呂以外の身の回りの世話も自分でできるみたいです。
記憶がちょっとあやしくて、私のことを姪と思っていたり
おかあさんは元気?とか聞いてきてすこし胸がちくちくします。
それ以外は甘いものが好きで、世話焼きでで、
孫になにかをあげるのが大好きないつもの祖母です。
年を取ると生き物だから。
みんな忘れちゃうじゃないですか。
今ある理性も知識も感情も思考もみんなみんな。
いつかみんな無くしてしまう。
自分自身による制御ができなくて、いい意味でも悪い意味でも
その人のその人らしいところがでてきてしまう。
(これ別に悪い面がたくさんでるからってその人を実は悪い人っていってるんじゃなくて
どちらかがでているだけなんだろうなぁ、っていうだけの話です。あしからず)
だから才気からくる性格のきつさやくどさがでていない様子に
それなりにほっとしました。
穏やかに過ごせているのだろうと。
そしてふと思ってしまうのです。
私はどうなるのだろうかと。
すこしづつすこしづつ。
記憶を失って、制御をうしなって。
いままでとは違う私になったとき。
最後に残るものが、誰かから向けられる笑顔で
誰かに向ける笑顔であればいいなぁ、と。
なにもできなくても、なにもわたせなくても。
そんな穏やかさの中にいたいと、思ったのでした。
以上、雑文。
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